パリオリンピック バドミントン男子シングルスで敗れ、初のオリンピックを終えた青森市出身の奈良岡功大選手。この舞台は幼少期から親子で目指してきた特別な場所でもありました。
【奈良岡功大選手】
「まずは支えてくれてありがとうっていうのと、まだまだ続くので、これから支えてもらえたらっていうのは言うと思います」
【父・浩さん】
「いや~こっちがありがとうですね、自分はもう・・・ここまで来られたのは感謝しかないので」
苦しい試合展開の中、観客席の最前列、コーチよりも近い場所で見守っていたのが奈良岡選手の父親・浩さんです。
奈良岡選手がバドミントンを始めたころから現在に至るまで、指導者として、家族として一番近くで支えてきた存在です。
【奈良岡功大選手】
「自分が折れそうになった時でも声を掛けてくれて、『自分のやりたいようにやれば良いよ』って声を掛けてもらえたので」「安心したというか」
息子のオリンピック初挑戦を見守った浩さんは。
【父・浩さん】
「うーん、ちょっと・・・(後ろ向き泣く)」
「ちょっとすみません・・・」
「最後力になってやれなくて、申し訳ないなと思っています、本人は精一杯やっていたと思います」
「ここに来られたことは、皆さんに感謝しますし、功大にもありがとうと言いたいです」
【奈良岡功大選手】
「自分はまだまだやるので、次のオリンピックに向けて、もっと自分が成長できるように、頑張りたいなと思います」
またここから奈良岡選手と浩さんの新たな挑戦が始まります。
パリ五輪 バドミントン奈良岡功大選手(青森市出身) ベスト8進出ならず