40年前の5月26日に、遠足で鰺ケ沢町の漁港を訪れていた弘前市立第四中学校の生徒たち。その中に、当時中学3年生だった青森朝日放送デジタルメディア部の佐藤英樹さんがいました。
【佐藤英樹さん】
「音がすごかった。ゴーとかすごい音がして、何か岸壁にぶつかったんじゃないかなと錯覚するような音がしたんです。そのあとすごい揺れが来て、女子生徒の悲鳴がキャーって聞こえて」
岸壁で船の様子を描いていた時に、地震が起きたそうです。揺れが収まった後、佐藤さんたちが昼食を取り始めたところ、先生たちが慌てて呼び掛けました。
【佐藤英樹さん】
「集まれから急に逃げろとなって、先生が血相を変えてすごい顔で、とにかく高いところへ逃げろと。高いところってどこなんだろうって感じで、もうてんでんばらばらに、山の方に海と逆の方に散って逃げたと」
避難した丘の上で津波を見たと言います。
【佐藤さん】
「白い波が来ているのを見て、あれが津波なのかなって漠然と。見たことそれまでなかったと思うので」
生徒と教職員およそ360人は全員、無事に避難できました。
【佐藤さん】
「当時は怖いという意識はなかったんですけれども」
「やはり東日本大震災で新たに映像を見ると、こういう同じ経験をしたなと思い出すというか」
「放送をすることで多くの人に伝えること、それから今はインターネットでの情報も伝えるということも大事かなと思っているので、幅広い年代の人に分かってもらえるように、いろんな企画で伝えていきたいなと思っています」