八戸工大一の監督として5回の甲子園出場、その後は名久井農で監督を務め、長年にわたり青森県の高校野球界をけん引してきた名将、山下繁昌さんが2024年の夏の大会をもって退任しました。最後の指揮を終えた直後に今の心境を聞きました。
Q.最後の試合を振り返って
6回まではいいゲームやってたんですけれど、さすがにね、7回からは向こうの地力がね、あとはもう僕の采配ミスになるんですけれどね。ピッチャー交代とか全部遅れましたので、それで勝たせてあげられなくて。申し訳なかったですね。(弘前実を相手に8回表までリードしたが逆転される)
Q.2024年の夏に関して
この子らと一緒に監督を始めたので3年間で何とか勝てるチームと思って。子どもたちにずっと言い続けてきたのが「1勝して校歌を歌おう」と、という目標でやってきたので、それが達成できなかったので残念です。
Q.監督としての今後は
一つの区切りとして、僕も一生懸命やってこれたので、それは幸せだったなと、70歳のじいさんについてきてくれたので。
Q.新チームの監督は
もうないですね。ただ県の部活動の指導員なので、2025年2月まではそういう立場にあるので、外部コーチという形でやれれば。
Q.退任の理由は
一つは70歳のじいさんがいつまでもやっているわけにもいかないし、それからこの子どもたちはなんだかんだ言って8人で最初頑張って、仲間を連れてきて10人にして一緒に何とかやろうとやって来た子達なので、僕もこの子達で何とかという気持ちでやってきたので本当にこれで最後にしようかなと思ってやっていました。
Q.この試合で感じたことは
この子達はいろいろな学校の行事とかがあって、思うように練習ができないこともあった。名久井農というと、水栽培とか農業関係でいろいろな受賞をしているんですけれど、それにこの子達は結構関わって、賞を取ったりしているんですよね。そういうことを頑張りながら野球も一生懸命取り組んできたので、そういう面では我慢することもこの子たちから学びましたね。
Q.監督にとって高校野球とは
監督も選手も、「魔力」というか甲子園のね、向こうに行くと魔物とか言いますけれど。僕は「甲子園の魅力」にどうしても引っ張られて、監督も部長も選手もやるんだろうなというのが高校野球だと思っていました。
Q.高校野球の3年間は
確かに八戸工大一では、本当に全国に行ってどうやって勝てるかをやってきて、名久井農では1勝あげる難しさ、3年間で1勝できなかったのでそういう大きな違いはありますけれど、でも選手らは野球に対する、1球に対するハートは変わらないなと。僕も八戸工大一で勝つような野球を名久井農の子達にも求めてきたし、そういう指導をしてきたけれども、一歩及ばなくて、指導も一歩進んでいけなくて。
もどかしさもあったけれども、そうやって一生懸命やってきたので、それはそれで「いい青春」であったなあと思うんですけれど、負けたら思い出しかないですからね。そこは仕方ないと思います。
Q.ずっと青春が続いていた?
(涙で言葉に詰まる)
ありがとうございました。
高校野球 夏の青森大会 ベスト16出そろう 14日(2回戦)の試合結果