青森市出身でアーチェリー界のレジェンド、古川高晴さん。10月に引退し、25年の競技生活に終止符を打ちました。先日青森朝日放送の取材に応じ、競技生活を振り返ると共に今後について語りました。
【古川高晴さん】
「2年後に青森は国スポを控えていると思うので、そこに少しでも僕の故郷に力を貸すというか、貢献できればうれしいと思っています」
オリンピック6大会連続出場を果たした古川さん。レジェンドのアーチェリー人生は高校1年時の青森東高校から始まりました。
【古川高晴さん】
「アーチェリーと出会って、のめりこんでしまって週7日練習していたので、休むよりも練習したい、アーチェリーしたいと思って、3年間それで駆け抜けたというか、もう本当にアーチェリー漬けの毎日だったと思います」
的を射抜く爽快感に魅了されアーチェリーの虜になった古川さん。競技中、一貫して意識してきたのが…
【古川高晴さん】
「ポーカフェイスというか、周りにも表情見せない」
「気持ちを落ち着けてプレーしてます」
そのポーカーフェイスとは裏腹に感じていたのはプレッシャー。オリンピックでの気持ちのコントロールは決して簡単ではありませんでした。
【古川高晴さん】
「昔アテネオリンピックですごく緊張したのを覚えてますし、対戦の前日、大会期間中の夜は全然眠れなかったことを覚えてますし…」
出場したオリンピックごとにプレッシャーの感じ方は変わってきたと言います。
表情に表れない緊張を伺おうと、オリンピックごとにどれくらいのプレッシャーと戦ってきたかを示してもらいました。
【福代隼士アナウンサー】
「やっぱり緊張が強かったのは(初出場の)アテネだったんですね」
個人で銀メダルを獲得した3度目のロンドンオリンピックで、向き合い方を見つけました。
【古川高晴さん】
「大学の監督に『ここぞという時こそ力を抜け。お前は真面目にやろうとしすぎるから、ここぞという時こそ力を抜いたらええんや』って言ってもらって」
「(ロンドン大会は)もう50%くらい、本当に程良い緊張を維持することができた大会だと思います」
程良い緊張感を維持するには秘訣があるようです。
【古川高晴さん】
「特別な感じを作らないことですね。もう普段と同じことをするだけと思えば普段通りパフォーマンスが発揮できると思うので、そういう意識でやってました」
この普段通りを支えていたのは練習量です。毎日午前9時から午後5時まで、400本から450本の弓を打ち続けました。その努力を証明するのが…
【福代アナ】
「(手を触って)あ!え~!本当に硬いですね。ここが硬くなるのはどうしてなんですか?」
【古川高晴さん】
「この人差し指・中指・薬指3本で弓の弦を引いてくるんですよ。その弓を引く重さは20キロ以上あるものなので、例えるならスーパーのレジ袋に20キロの重りを入れて、指3本で持っていることを毎日400回、500回繰り返す」
一切の妥協がなかった現役生活。40歳の節目に今後はコーチとしてアーチェリーに携わることを決意しました。
【古川高晴さん】
「いつか僕を超えるような、金メダルを獲れるような選手を育てたいという想いがあります」
古川選手が今後射抜きたいものって何かあったりしますか?
【古川高晴さん】
「指導するうえで凄く重要だなと思うのは、選手の信頼を得ることなので、選手のハートを射抜くいて信頼してもらえるようなコーチになりたいなと思います」
現役引退のアーチェリー古川高晴さんが青森に帰る 地元で食べたいもの