2021.03.10(水)

3月11日

written by 木邨将太

あすで東日本大震災から10年を迎えます。

10年前の午後2時46分。

当時入社2年目の私は生放送で話している最中でした。

体験した事のない横揺れ、そしてスタジオの停電。

そして初めて目にした「大津波警報」の文字。

情報を持ってスタジオに飛び込んできた先輩たちのサポートを受けながら

必死に避難を呼びかけ続けましたが、

その時県内の大部分が停電となっていて

ほとんどの人はテレビを見ることが出来なかったと後から知って

「自分のやったことに意味はあったのか」と

悔しさと虚しさが入り混じった気持ちになりました。

 

毎年、この時期が近づくと思い返す出来事があります。

1つは、10年前の震災の日に

中継を行ったショッピングセンターで中継車の中に一時保護した子どものこと。

ショッピングセンターが地震のため急きょ閉店となったため店外に出たものの

迎えの親御さんはまだ来られず、といった状況でした。

中継車もそろそろ次の現場に動かなければならない、そんな時ようやく親御さんが到着。

停電の影響で道路が渋滞していたためすぐに駆け付けられなかったそうです。

スタッフ一同、ほっと胸を撫で下ろしたのを覚えています。

多分ですが、今だと20歳前後になっているでしょうか。

どんな大人になっているのかな。

 

もう1つは、発災から数日後に取材でお話を伺った高齢の女性こと。

津波で自宅が被害にあった上、

その後に泥棒に入られて津波の被害を免れた家の物も盗まれてしまったと話し

「あの時津波に飲まれて死んでしまえば良かった」と涙していました。

私は「そんなことはないです」とは言ったものの

それ以上、声をかけることができませんでした。

 

そしてもう1つ、津波の被害を受けた漁港で話を伺った漁協関係者の男性。

大変で、辛い状況であったはずなのに

「海は変わらず目の前にある」とお話し下さいました。

その言葉通り、その漁港は早期に復旧へと動き出し

特産の海産物の出荷を再開しました。

その方とは取材などでその後も何度かお会いしましたが

最初にお会いした時のどこか決意を秘めたような目が忘れられません。

 

 

東日本大震災からあすで10年。

被災された方々の心が少しでも癒えることを願います。

 

そして、放送、そしてメディアは災害時に何ができるのか、

あの日どうすべきだったのか、この日が来るたびに考えます。

アナウンサールーム