青森市にある青森まちかど歴史の庵「奏海」では当時の状況を収めた写真展が18日から始まりました。
【藤原祐輝アナウンサー】
「1954年9月26日、日本列島には台風15号が北上していました、当時、青函トンネルはありませんでしたから、本州と北海道を結ぶ主要手段は青函連絡船しかありませんでした」
午後2時40分出航予定だった洞爺丸。悪天候のため、一度出航を中止したものの、午後5時すぎに天候が回復したことから、午後6時39分、青森に向けて函館港を出航しました。
しかし、台風はゆっくりと洞爺丸に近づいていたのです。出航直後に天候が悪化。最大瞬間風速50メートルを超える暴風と高波に遭い、北海道北斗市の七重浜沖で座礁。
出航からおよそ3時間後、乗客たちは船内アナウンスに従い慌ただしく救命胴衣を付け始めます。
生き残った乗客は船内の雰囲気についてこのように記しています。
「船はまたぐっと傾いた。あちこちで念仏をとなえている。子どもが泣く、『騒ぐな騒ぐな』、船は九十度に傾斜」
その1時間後の午後10時45分ごろ、海岸から数百メートルの位置で転覆し、乗員乗客1155人が死亡、あるいは行方不明となりました。
僚船4隻も合わせると一晩で1430人の尊い命が失われた事故でした。
【青森まちかど歴史の庵「奏海」 今村修さん】
「青森の人たちはいつまでも忘れないで、かつてこんなことがあったよと語り継いでほしいという思いで開催していました」
【藤原祐輝アナウンサー】
「洞爺丸海難事故が大きなきっかけに、青函トンネル建設工事の動きが加速。トンネルの完成に伴い青函連絡船は80年の歴史に幕を閉じました。本州と北海道がトンネルでつながっている背景には、こうした大きな事故があったことを忘れてはなりません」