8日は、発掘調査をした東北学院大学の木山克彦准教授や南部町の担当者たちが会見を開き、馬を逃がさないように設けられた急斜面の土塁や掘の跡など、確認できた内容について発表しました。
相内野牧跡は周囲がおよそ8キロ。広さは153ヘクタールほどで、およそ40頭の馬を放し飼いにし、3カ所の水場で管理していたものと考えられています。
牧場は盛岡南部氏が所有し、八戸南部氏との藩境に位置。当時交通の要衝であった奥州街道にも近く、1613年から1860年まで使用されていたとの記録もあります。
【東北学院大学 木山克彦准教授】
「想定していた以上の土木工事を施している。それがしかも(周囲)8㎞に渡って行われている」
「南部藩の南部馬ですね。非常に大きなブランド価値のある馬を育てるものですから、そこに非常に大きなコストを掛ける必要があった」
近世の牧場の学術調査は、全国でも初めての取り組みということで、南部町では今後も調査と全容把握をしたうえで、将来的には文化財指定を目指していく方針です。