南部家の有力武将だった大浦光信は、戦国時代の1491年現在の鰺ケ沢町にある「種里」の守りを命じられ、城を作り、拠点として勢力を広げました。
500年目の命日となる8日は慰霊祭が開かれ、津軽家や鰺ケ沢町に加え、縁のある弘前市や黒石市、そして岩手県久慈市などから関係者およそ80人が参列。祭壇に玉串を捧げ、光信公の遺徳をしのんでいました。
【津軽家15代当主 津軽晋さん】
「改めて光信公の遺徳に感謝をし、その精神を後世に伝えていくことの大切さを感じています」
続いて、津軽家の由来が鰺ケ沢町であることを書き記した、記念の銘板が披露されました。
鰺ケ沢町にある「光信公の館」では、31日まで光信や津軽家ゆかりの品を見ることができる特別展を開催しています。