今年は日本選手権で優勝、全日本インカレも4連覇を達成しましたよね!
大活躍でした。
弘前実業出身で現在は九州共立大学の4年生。高校卒業前にインタビューをしたので4年ぶりぐらいに取材してきました。
今回、ある理由があって母校に帰ってきているんです。その理由と来年に迫る青森国スポへの思いを聞いてきました。
【藤原祐輝アナウンサー】
「こちらの部屋に村上来花さんがいるそうです、では入ってみましょう!失礼します!お久しぶりです!きょうはよろしくお願いします、いいお姉さんになられて!」
【九州共立大学 村上来花選手】
「ありがとうございます!」
【藤原祐輝アナウンサー】
「きょうはよろしくお願いします!」
女子ハンマー界期待の星、九州共立大学4年の村上来花選手!自己ベストの66メートル88は日本歴代4位の記録です。
【九州共立大学 村上来花選手】
(Q.きょうはなんでまた母校に帰っているんですか?)「この期間教育実習があって、教育実習の関係でいま弘前実業高校に来させていただいています」
村上選手が帰ってきた理由は教育実習。中学・高校の保健体育の教員免許取得を目指しています。村上選手が所属するスポーツ学部では教職は必修ではありません。
【九州共立大学 村上来花選手】
(Q.どうして教員免許を取ろうと思った)「本当は教員免許を取る予定はなかったんですけれど」「自分が競技を辞めた時にどういうキャリアにしていこうかなと思った時に、コーチングとか競技とかを教えていくためには必要かなと思って取るようにしています」
卒業後も競技を続ける村上選手。今シーズンの成績を振り返ってもらうと・・
【九州共立大学 村上来花選手】
「例えばユニバーシティ-ゲームズでもしっかり結果残せていたら世界陸上も行けたのかなと思ったり」「アジアまでしか日本代表を背負わせいただいていないので、しっかり世界という規模で代表を背負ってみたい」
競技と教職の勉強の両立は大変だったと言います。それは教育実習の時期にも関係がありました。
一般的に教育実習は5月から6月ごろに実施されますが、ちょうどその時期に開催されたのが村上選手が4連覇を達成した全日本インカレ。
高校の協力もあり全国的にも珍しいこの時期の実習となりました。期間は3週間。村上選手は様々な先生の授業を見学し、授業の展開の仕方や時間の使い方などを学んでいました。
【九州共立大学 村上来花選手】
「きょうは授業参観が多かった、あした実際に授業をするのでそのためにきょう参加した授業を参考にしていきたい」
放課後は陸上部の練習に参加し、後輩たちを指導します。
こちらは注目の2年生!佐久間幸芽選手。9月の新人戦では東北王者に輝いています!
【新人戦東北王者 佐久間幸芽選手】
「とても憧れの先輩です」
(Q.佐久間さんは何メートルぐらい投げる?)「45メートルです」
(Q.来花さん2年生の時はどれぐらいでしたっけ)「61?」
村上選手の成績がいかにずば抜けているかが分かりますね~。ここで後輩から先輩へ相談が!
【新人戦東北王者 佐久間幸芽選手】
「ターンをして入る時に体勢が崩れたりするときがある」
【九州共立大学 村上来花選手】
「うんうん」「入ってきて右足が長く着すぎているんだと思う、もうちょっとパッと足を離せた方がいいかも」
ここで村上選手が悪い例と良い例を再現!
右足が地面から離れるタイミングが早い方が良い投げにつながるということですが、ぱっと見では違いが全く分かりません…
ここで「クイズ村上来花」!この投げは良い投げ?悪い投げ?
【佐久間幸芽選手】
(Q.幸芽さんどちらですか?)「悪い方です!」
【九州共立大学 村上来花選手】
(Q.正解は!?)「良い方(笑)」
体重移動や遠心力をうまく活用して遠くに飛ばすハンマー投げ。感覚をつかむのが難しい競技ですが、トップアスリートの指導は高校生たちにとっても大きな財産になっているようです。
【九州共立大学 村上来花選手】
「ここです!」「はい、良かったです!今良かった!」
来年、地元の青森で開催される国スポでは優勝以外にもこんな思いが・・・
【九州共立大学 村上来花選手】
「ハンマーはマイナーな種目だと思うんですけれど、その中にも楽しさだったり達成感があると思うのでそういったものを自分がこれから広めていけたらなと思っています」「世界陸上は今年逃してしまったのでそこをまた出場できるような選手になれるように日常生活から頑張っていきたいと思います」
クイズ、私も悪い方だと思ってしまいまして、素人目には分からないです。でもそういった小さな意識 1 つが結果を左右するわけですよね。
そうなんです。また感覚が非常に難しいスポーツなのでトップアスリートが身近にいて、その指導ができるという環境も大きな刺激になっているようです。 また大きな目標としては、まだ日本出身の女子選手としては成し遂げていない 70m 超え、これを目指しているという風に話していました。
以上藤原が行くでした。















