あの日、あの時、勇気ある行動が多くの人の命を救いました。そして、この経験を未来へつなぎます。
なお、この後津波の映像が流れます。気分が悪くなる方は、ご視聴をお控えください。
2011年3月11日。
あの日自らの命を顧みずに未曾有の災害に向き合った人たちがいます。
県内ではおよそ1500人の警察官が避難誘導や救助活動に当たりました。
「警察官の3.11」
県警察本部機動隊木村大佑隊長補佐は15年前機動隊の分隊長として災害現場で指揮を執りました。
「1人でも多くの人を助けたい」。そんな思いでした。
【県警察本部機動隊 木村大佑隊長補佐】
「また津波が来るかもしれないという不安もありますし、隊員の命も守らないといけないという不安もありますし、また隊員は自分たちの家族の安否も分からないまま活動していて、活動を続けられるのかどうかいろいろな葛藤というか、頭の中はぐるぐるさせながら活動していました」
不安と葛藤を抱えながら隊員たち15人ほどで向かった先は八戸市。移動中、テレビで流れる津波の映像が木村さんたちに衝撃を与えました。
【県警察本部機動隊 木村大佑隊長補佐】
「車が海で飲み込まれてる映像とかを見れば、機動隊も経験したことないような現場に行くんだなと感じました」
災害警備本部が設けられた八戸警察署内では正確な被害情報の把握は困難を極めていました。
【県警察本部機動隊 木村大佑隊長補佐】
「ただ110番通報は鳴り響くので、1つ1つに対応して、パニック状態という表現が1番適しているのかなという感じです」
そんな中、「津波に巻き込まれている人がいる」との通報を受け、レスキュー車で現場へ向かいおよそ20人を救助。
しかし、木村さんには心残りがあります。
【県警察本部機動隊 木村大佑隊長補佐】
「人命1人でも多くの命を救うというところで頑張っているんですけども、それでも救えない命があったというのは今思い返しても心残りですね」
東日本大震災から15年。木村隊長補佐が思うことは。
【県警察本部機動隊 木村大佑隊長補佐】
「想定外の災害はいつ起きてもおかしくないので、日頃からの訓練、これを積み重ねていかねばならいけないかなと考えますね」
青い海が広がる八戸市の種差海岸。この場所でも15年前、決死の救助が行われました。
八戸警察署の森本匡俊地域官は当時、八戸署の生活安全課に勤務していました。
地震発生後種差海岸沿いの住民の避難誘導を開始しますが、まもなくすると状況が一変します。
【八戸警察署 森本匡俊地域官】
「この通りを往復している中で津波を見ている方から「下の方が逃げ遅れて、まだいますよ」と呼び止められて、そこから救助活動を開始しました」
すでに第一波と思われる津波は到達。しかし、警察官としての使命感が自らを奮い立たせました。
【八戸警察署 森本匡俊地域官】
「自分ももしかしたら津波に飲まれてしまうかもしれないという気持ちがあったんですけど、逃げ遅れた方がいるという以上は警察官としてその場にいたのでできる最善のことをやろうということで決心して」
夫婦2人が取り残された建物は崖の下。建物の中に救助へ向かいました。
【八戸警察署 森本匡俊地域官】
「崖を降りていくと建物があったんですけども中に入ると第一波の津波でいろいろなものが浮いていて、いろいろな大きいものも、本来ここのものじゃないかなというものも建物の中で浮遊している状態」
女性はすぐに救助できましたが男性の救助には時間を要しました。
【八戸警察署 森本匡俊地域官】
「旦那さんは大きい浮遊物の中に挟まれるような形でいらっしゃったのですぐ救助できなかったんですね。「最悪死ぬかな」という思いの中でも、自分も旦那さんも生きてここから帰りたいな、帰したいなという気持ちの方が強かったですね」
森本さんは何とか取り残された男性を助け出しましたが、振り返ると津波は建物の近くまで来ていたといいます。間一髪でした。
【八戸警察署 森本匡俊地域官】
「最前線で活動する警察官が最後には自分が判断して、何が最善の対応なのか、そこを考えて活動できるようにならないと人の命を救うことはできないのかな、災害から人を守ることはできないのかなというような思いを感じています」
県警察本部では東日本大震災をきっかけに各自治体のハザードマップに沿った避難誘導の経路確認など、より実践的な訓練を増やしました。
いつ起きるか分からない大規模災害への備えを続けます。















